2021年06月01日

6月1日から、恵林寺『水無月(みなづき)特別朱印』をおわたしいたします...

令和3年・4年の『武田信玄公生誕五〇〇年・四五〇回忌』を記念して、恵林寺では毎月一つ、お詣りでお越しになる皆さまにお渡しできますように、特別朱印を準備しております。


六月水無月は、恵林寺の『夢窓国師庭園』にちなんだ『清泉(せいせん)』朱印です。

枚数は、いつもと同じく、二〇〇枚。

 

元徳二年(一三三〇年)、恵林寺は夢窓国師によって開創されました。
甲斐国の守護職 二階堂貞藤の帰依を受け、その別邸を改めて禅院にしたのです。


国師は恵林寺を修行道場として整備し、坐禅修行のための庭園を設けました。

それが国の名勝庭園に指定されている現在の恵林寺庭園です。


国師は恵林寺での修行三昧の暮らしをこよなく愛し、その喜びを漢詩にして残しています。
恵林寺を訪ねてきた古航和尚に捧げる『山居に韻す十首』というのがそれです(『夢窓国師語録』)。
その中の一つで、国師はこう歌っています、

 

物外(もつがい)の逍遙(しょうよう)自得(じとくとく)の時、
家風(かふう)放曠(ほうこう)として奇(き)を求めず。
客来るとも物の供養すべき無し、
白石清泉を土宜(とぎ)に當(あ)つ...

 

「物外」というのは脱俗の境地、悟りの世界のことです。

「逍遙」は気の向くままの自由な様子。

「自得」とは、自分の到達したところを自ら納得し、悠々自適の境地にあることをいいます。

「家風」とは、自分自身の独自の生き方、夢窓国師の禅僧としての個性を生かした禅僧としてのスタイルのことです。

「放曠」というのは、身構えることなく、開けっぴろげの気楽な様子です。

恵林寺に清らかな修行の世界を作り上げ、悟りを開いて心の安心を得ているから、自分のやり方といって、特にこだわることもない、何をしていても自分自身だ、という寛いだ毎日で、激しく厳しい修行に打ち込んでいたかつてのように、修行を通じて何か特別なこと(「奇」)を求めることもない。

親しい友(古航和尚)が訪ねてきてくれて、とても嬉しいから、何か供養をして差し上げたいのだけれど、枯淡な暮らしゆえにものもなく、特に改めて説かなければならない仏法などというものもない。

清水に現れて白く浄められた庭の石と、絶え間なく流れるせせらぎを、君への土産にしよう...

というのです。

「土宜」というのは、土産のことです。

 

都の喧噪を離れ、権力や富から身を離し、清らかな甲斐の天地のもとで悠々自適の暮らしを送る。

枯淡な暮らしゆえ、何も差し上げられるるようなものはない。しかし、庭の清らかな石と水の流れを土産として君にさし上げよう...これ以上の土産、これ以上の贈り物は、あるでしょうか?


恵林寺にお越しになりましたら、ぜひ、夢窓国師が自ら石を運び、水を引いて作られた庭園の前で、静かな一時をお過ごしください。
国師の愛した清らかで涼しい水の潺(せせらぎ)を「清泉」としてお持ち帰りいただきたく存じます。


                             恵林寺 山主 謹白

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