2021年03月14日
武田不動三尊像について、学術的な新発見が公式発表されました...
令和3年3月12日(金)午後1時30分から、恵林寺大書院において
武田不動尊像について
の記者発表が行われました。
出席者は、恵林寺住職 古川周賢老大師、山梨県立博物館館長 守屋正彦氏、山梨文化財研究所・帝京大学准教授 岡田靖氏、山梨県文化財保護審議会委員 鈴木麻里子氏、山梨県文化財課文化財指導監・信玄公宝物館館長 小野正文氏(司会)、山梨県立博物館学芸員 近藤暁子氏、同 西願麻以氏。
この度、新たな学術的発見がなされた恵林寺所蔵の山梨県指定文化財 木像不動明王及二童子像(平成27年2月5日指定)は、武田不動尊三尊像として知られています。
この像は従来、寺伝などを通じて、武田信玄公が願主となり、京都から仏師 康清を呼び寄せ、対面でその姿を写させた。そして自身の毛髪を焼き、顔料に混ぜて、自らの手でその胸部に塗り込めた「信玄公生き写しの不動尊像」として知られていました。
本年、令和3年(2021年)、山梨県立博物館特別展『生誕500年 武田信玄の生涯』(武田信玄公生誕500年・山梨県立博物館開館15周年記念)出展のため、帝京大学文化財課研究所に調査を依頼し、岡田靖准教授の指導監督の下で表面彩色の剥離止め等の応急処置作業を実施しました。
そのおりに、以前からその存在が確認されていた木像像底部の小孔からファイバースコープを挿入し、内部の確認をしたところ、木像頭部内部に墨書銘が確認されました(令和3年2月15日)。
墨書銘は、
七条大仏大貳法印
康住 造
元亀三年
4月◇日(◇は書き直しによって字が重なり、判読不能)
と確認されています。
この像の成立年に関しては、『甲陽軍鑑』では元亀元年(1570年)、『快川和尚法語』では元亀4年(1573年)など、資料によってまちまちでしたが、今回の発見により、
①制作年は元亀3年4月、信玄公がなくなる前年であり、
②作者は、従来伝えられていた仏師 康清ではなく、康住であることが確定されました。
今回新たに確認された仏師 康住は、当時京都で仏像制作を行っていた代表的な仏所である七条仏所の一つ、七条西仏所の仏師とみられ、これまで伝承を通じて作者とされてきた仏師 康清の実弟と考えられています。
今回の発見によって、この武田不動尊像が、伝承通り信玄公の存命中に制作されたことが確実となりました。
また、作者が康清ではなく康住であるということに関しては、仏像制作は工房単位で行われることがあたりまえであり、康住が康清と兄弟の関係であるならば、同じ工房に属する仏師として自然なことで、何らかの理由によって康住がこの不動尊像の制作を担当したと考えられます。いずれにしても、今回の発見は、この武田不動尊像が、信玄公の生きた姿を写したとものいう伝承を裏付けるものということになります。
信玄公の髪を焼いて云々という伝承については、さらに今後の学術的な研究の結果を待ちたいと思います。
*なお、『武田不動尊三尊像』は、今回の調査によってかなりの傷みが確認されたため、5月10日の展覧会終了後、本格的な修復作業に入ります。この作業は数ヶ月にわたるものと思われます。
この機会にぜひ、不動尊像に対面いただけましたらと存じます。『武田不動尊像』は、4月12日の恵林寺『快川国師・信玄公忌』までは、恵林寺の『明王殿』にいつも通りお祀りしてございます。
4月14日から5月10日までは、山梨県立博物館までお運びください(火曜日休館)。
山梨県立博物館特別展『生誕500年 武田信玄の生涯』は、3月13日(土)から、5月10日(月)までで、恵林寺からは、
①『武田不動尊及二童子像』(山梨県指定文化財)
②『武田信玄公画像』(柳沢吉里筆:甲州市指定文化財)
③『鎧不動尊画像』(伝武田信廉筆:甲州市指定文化財)
④『武田信玄公判物』(永禄7年12月朔日:甲州市指定文化財)
⑤『天正玄公仏事法語』(山梨県指定文化財)
の5点が出展され、①の『武田不動尊像』と②の『武田信玄公画像』は4月14日~5月10日(後期)/③の『鎧不動尊画像』は3月13日~4月12日(前期)/④の『武田信玄公判物』と⑤の『天正玄公仏事法語』は3月13日~5月10日(全会期)の展示となります。
詳しくは、山梨県立博物館HPをご覧ください。
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