2021年04月02日

快川国師記念朱印を謹製いたしました...

四月三日は、快川国師(快川紹喜禅師)の命日です。

 

快川国師は美濃の人、武田信玄公に請われて恵林寺の住職となりました。

 

国師に対する信玄公の帰依はひとかたならず、国師が恵林寺住職の任を終えて美濃の崇福寺に帰った後にも繰返し山梨にやって来るよう懇願し、国師が本拠地であった美濃を離れ、恵林寺の住職として長く山梨に留まることが決まると所領を安堵して恵林寺を菩提寺に定め、夢窓派であった恵林寺を快川国師の妙心寺派に変えています。

 

戦国の時代を代表する傑僧としての国師の名は天下に轟き、天正9年には、正親町天皇から大通智勝国師という国師号を賜っています。
武田氏滅亡後の天正一〇年四月三日、織田方の軍勢によって恵林寺は焼き討ちに遭い、国師は弟子たちと共に燃えさかる山門の上で坐禅を組み「心頭滅却すれば、火も自ずから涼し」と唱えながら亡くなったといわれます。

 

この度、恵林寺では『武田信玄公生誕五〇〇年・四五〇回忌』を記念して、信玄公の師であった快川国師の記念朱印を謹製いたしました。

皆さまにおわけするのは、国師の命日である4月3日から、限定数は200で、無くなり次第終了といたします。

 

国師の墓所は、恵林寺三門のわき、山門に向かって左手にございます。

 

これを機に、ぜひ、武田家と運命を共にした国師の墓所にお手を合わせていただきたく存じます。

 

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