2024年04月01日

4月1日から、恵林寺4月特別朱印『武田不動尊』『恵林寺三門』特別朱印をお分けいたします...

令和6年4月の恵林寺特別朱印は、4月12日の『快川国師・武田信玄公毎歳忌まいさいき』にちなみ、

 

『武田不動尊特別朱印』と『恵林寺三門特別朱印』

 

です。

 

武田信玄公は、元亀四年四月十二日に、五十三年を一期いちごとしてこの世を去りました。そして、信玄公の禅の師であった快川国師(大通智勝国師だいつうちしょうこくし快川紹喜かいせんじょうき)は、信玄公の死から去ること九年、武田一族の滅亡を見届けて後、天正一〇年の四月三日、織田方の軍勢による恵林寺の焼き討ちに遭い、燃えさかる山門の上で「心頭滅却しんとうめっきゃくすれば、火も自ずから涼し」と唱えながら亡くなったと伝えられます。


恵林寺では、武田信玄公の祥月しょうつき命日である四月十二日に、師弟の深いきずなで結ばれていた信玄公と快川国師の毎歳忌の法要をいっしょに執り行っています。
信玄公亡き後、徳川家康によって重用された、かつての武田の家臣達は、毎年四月十二日に、恵林寺で、主君であった信玄公の法要を厳かに営んでいましたが、時が経ち、一面の灰燼かいじんに帰した恵林寺も次第に復興を果たし、信玄公の菩提寺にふさわしい、かつての寺観を取り戻した頃から、恵林寺近郊に住む人々が、この信玄公の祥月命日の法要に合わせて、自発的に集まり、偉大な信玄公への感謝と思慕の念をあらわすために、信玄公の姿を写し取ったとされる「武田不動尊」にお供えをするようになりました。
信玄公の二〇〇回忌頃から、こうした集まりはしっかりとした行事の形を取り始め、今日、四月十二日の『快川国師・武田信玄公毎歳忌』の日に、恵林寺の境内で盛大に行われる『信玄公祭』(『信玄さん』)の原型になったと言われています。

 

今年の特別朱印は、コロナのために中断していた『信玄公祭』(『信玄さん』)の、久し振りの再開を記念して、信玄公の姿を写したとされる『武田不動尊』の御朱印と、信玄公の師であった快川国師火定かじょうの地に建つ『恵林寺三門』を「切り絵」で謹製きんせい致しました。『恵林寺三門』の記念朱印は、日本を代表する高僧であった快川国師をしのび、「ぶっぽうそう」という仏教の三つの宝をあらわす「三宝印さんぽういん」を台紙に添えて、「御祈祷札ごきとうふだ」の形に致しました。


四月一日から、それぞれ、限定三〇〇枚ずつ、お参りの皆様にお分けいたします。

御希望の方は、恵林寺拝観受付まで、お申し出ください。


恵林寺 山主 謹白

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