2022年10月05日
10月5日から、『達磨忌特別朱印』をお分けいたします...(終了しました)
10月5日は『達磨忌』、禅宗の開祖 達磨大師の命日です。
この日には、全国の禅宗寺院で禅宗初祖 達磨大師の法要が厳修されます。
十月五日はまた、「更衣」、つまり衣替えの日です。
禅僧たちはこの日を境に、夏衣から冬衣へと衣体を改めるのです。
恵林寺では、『武田信玄公生誕四五〇回忌』の記念として、お詣りにお越しの皆さまに、毎月一つずつ特別御朱印を用意しております。
10月の特別朱印は、『達磨忌特別朱印』です。
10月5日、達磨忌から、いつものように限定200枚です。
御希望の方は、受け付けにお声掛け下さい。
達磨大師は、南天竺国香至王の第三王子として生まれました。
初めは、菩提多羅という名前であったといいます。
或る時、高僧般若多羅尊者が香至国を訪れ、その素晴らしい説法に感激した香至王は、尊者に宝珠、つまり高価で貴重な宝玉をさし上げました。
この時、この見事な宝珠よりも尊いものがありますか?
という般若多羅尊者の問いかけに対して、三男の菩提多羅だけが、
どのような高価な宝珠よりも正しい教えの方が尊く、優れた智慧の方が光り輝きます...
と答えたといいます。
この答えに喜んだ般若多羅尊者に優れた資質を認められ、その勧めによって出家し、「菩提達磨」という名をいただいた菩提多羅は、四〇年にわたる修行を続けて悟りを開き、仏教第二十八祖 菩提達磨となり、師の命を守って六十七年間にわたってインド各地で法を伝え、後に百歳を超えてから中国に渡って禅宗の開祖となられました。
普通元年(五二〇年)、海を渡って広州に上陸した達磨大師は、「仏心天子」と讃えられていた仏教の外護者、梁の武帝と面会するも縁がかなわず、揚子江を渡って嵩山少林寺の洞窟に籠もり、ひたすら洞窟の壁に向かって坐り続ける「面壁九年」の厳しい坐禅をするなかで、後に禅宗第二祖となる神光慧可大師に出会い、跡継ぎとして育てあげ、永安元年(五二八年)十月五日に一五〇歳で遷化したと伝えられています。
達磨大師は、
「直指人心見性成仏」と教えました。
それは、世間的な成功も、地位も、名誉も、才能も、何も要らない。ただ、自分自身の心をしっかりと見つめ、自分自身であれ、という教えです。
達磨大師の教えは、今も生きています。
あわただしい現代だからこそ、キョロキョロと人の評価を気にしたりせず、一日一度は静かに坐禅をし、ぶれることなくしっかりと自分の人生を歩み通していきたいものです。
恵林寺 山主 白
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