2019年02月22日

2019年度 慶應MCC 講座『禅の智慧』に今年も住職 古川周賢老大師が登壇されます...

「捨てる」ことを通じて本当の自分を探る

 

禅は「修行の宗教」です。修行の現場において、自分で見、聞き、体感したものだけが真実である、という徹底した姿勢に貫かれています。

 

自分自身と向き合うときには「坐禅」。

世界と向き合うときには「作務」。

そして坐禅と作務を通じて体得したものをひっさげて師匠に立ち向かい、一問一答の真剣勝負を通じて自分自身の修行を点検し、吟味する「禅問答」。

 

禅の修行はこれら三つの柱を通じて、それまでとは違う自由で新しいものの見方、感じ方、考え方―「禅の智慧」―を体得することを目的としています。

 

 本講座では、写経体験及び坐禅を通じて集中力を磨き、禅の教える「捨てる」智慧と「無心」の世界を学びます。そして、講師の経験、さらに社会人から修行道場に身を投じたゲスト講師の経験に耳を傾け、無心の世界に広がる自由でとらわれのないものの見方を通じて「本当の自分」への道を探ります。

 

 

5月18日(土)13:30-17:00

 

第1回: なぜ、禅なのか?

 

禅は大乗仏教という、優れた歴史的な精神遺産を受け継いでいます。

瞑想法としての坐禅、修行道場という教育システム、禅問答を通じての思想的な錬磨など、現代においても新鮮で、時として刺激的ですらある幅の広さと柔軟さ、そして深さを兼ね備えています。

西洋哲学への関心を持ちながら禅の修行僧としての道を選び、禅僧として生きる講師自身の体験から、いま、なぜ、禅なのか?

宗教、思想そして瞑想の実践という観点から、現代に生きる私たちと「禅」の接点を探ります。

 

 


 

6月1日(土)13:30-17:00

 

第2回: 修行としての人生から学ぶ

 

禅は「修行」の宗教です。

しかし、「修行」と言ってもいったい何をするのか、何のためにするのか、実地に経験したものにしかわかりません。

第二回では、会計事務所勤務を経て禅の専門道場へ入り修行を重ねた禅僧から、「修行」とはどういうものなのか、何をめざしているのか、質疑を交えながらその全体像を感じ取ります。

 

  • [ゲスト] 戸田 惺山
  • 臨済宗大徳寺大慈院 住職

 

 


 

6月15日(土)13:30-17:00

 

第3回: 捨てる、とは

 

禅の修行は「捨てる修行」です。

豊かなものに取り囲まれ、情報の氾濫に巻き込まれて、自分自身のあるべき姿を見失いがちな現代社会にあっては、誰もが「捨てる」ことの大切さを感じるはずです。

しかし、「捨てる」といっても、何をどうすれば良いのか、簡単にはわかりません。

『般若心経』を手がかりにして、日常的な意味の「捨てる」と、禅でいう「捨てる」とは、どう違うのか、具体的な例を考えながら「捨てる修行」の基本をとらえます。

 

またこの回では坐禅にかわって、写経に取り組みます。

 

 *『般若心経』とは...『大般若波羅蜜多経』600巻という膨大な経典のエッセンスを取り出してきたものとされ、「空」という大乗仏教の中心的思想が説かれています。

 

 


 

6月29日(土)13:30-17:00

 

第4回:「無心」の世界

 

「捨てる修行」の先にあるものを、禅の世界では「無心」と呼びます。

「無心の境地」とは、いったいどのようなものなのか、欲望や執着に引きずられないように生きるには、どうすれば良いのか、現代の私たちの日常に引き寄せて考えます。

 

 


 

7月13日(土)13:30-17:00

 

第5回: 本当の自分に出会うために

 

「無心の境地」に至ることを、禅では「悟り」だと説明します。

そして禅の世界では、「悟り」とは「本当の自分に目覚めること」だと教えます。

「無心」とはいったいどのような状態なのか、「本当の自分」とはどのようなものなのか、「目覚める」とはどのようなことなのか、わたしたちの現実の生き方に引き寄せて考えます。

 

 


 

7月27日(土)13:30-17:00

 

第6回: 禅的な生き方とは

 

禅は、最終的には「本当の自分として生きよ」と教えます。

借り物でない、本当の自分の生き方とはどのようなものなのか、めいめいの自分自身の課題として考えます。

 

 

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