2019年04月27日

新元号『令和』の限定記念朱印が発行されます...

皆様ご存じの通り、本年5月から、新元号『令和』に代わります。

この改元の記念として、恵林寺でも『令和改元記念朱印』をお出しすることといたします。

 

図案は、武田不動尊の御朱印の上部に、武田家の表紋と裏紋、花菱と武田菱をあしらい、中央には、中国では古来から皇帝の紋章として用いられてきた龍を。

下部には、同じく皇帝の紋として用いられてきた鳳凰をあしらっております。

また、料紙は新緑の緑に地紋として菱形の菊紋を浮かび上がらせたものです。

令和改元朱印2314_001

恵林寺の開山は夢窓国師です。

夢窓国師は生前の国師号授与も含めて、七人の天皇から国師号を授けられ、「七朝帝師(ひちちょうていし)」と讃えられたお方です。

 

また、信長による焼き討ち後の恵林寺を再興する上で大きな役割を果たした柳沢吉保公は当時の霊元天皇と深く関わりを持ち、直接和歌の指導を受けており、後嗣吉里公が享保年間に『甲斐八景和歌』を定めるにあたっては、中院道躬(なかのいん みちみ)をはじめとする京都の公卿8人に依頼して、八景それぞれの和歌を八首詠んでもらい、中御門天皇の勅命を得ています。

 

恵林寺のその後の歴史を見ても、明治13年(1880)6月16日、三条実美太政大臣を随行として、山梨・三重・京都の民情視察のために甲州街道を通って、巡幸の旅に出られた明治天皇は、翌17日には山梨に入られています。
恵林寺にご来駕があったのも、このときのことです。
明治天皇は当時の県令藤村紫朗に通達し、武田信玄公ゆかりの社寺を手厚く保護することを命じました。これを受けて山梨県下では、恵林寺・大泉寺・甲斐善光寺などの由緒書が御巡幸御用掛に提出され、翌年各社寺に御下賜金がありました。
明治天皇のご巡幸をお受けした当時の恵林寺の伽藍は、残念ながら明治38年2月11日に、火災によって失われてしまいましたが、再建なった現在の恵林寺本堂には勅使門と貴人間(きにんま)が設けられています。

 

このようなご縁にも鑑み、龍と鳳凰をあしらったデザインといたしました。

 

枚数は、限定二千枚。

 

なくなり次第終了といたします。

 

令和元年5月1日(水)から、一枚500円でご希望の方にお渡しいたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

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