2021年01月27日

明治期における恵林寺...『無孔笛』(笛川日記)を読む(1)

恵林寺第52世(中興17世)住職を務められた笛川玄魯てきせんげんろ老大師は、明治11年の恵林寺住山から大正4年退山までの出来事や感懐などを、自筆本『無孔笛むくてき』と題して遺されています。
「笛川日記」或いは「笛川語録」と言うべき『無孔笛』は、和綴じ本で三冊。寸法は三冊とも、27.5センチ×19.5センチ。
「天」、「地」、「人」と題された三巻はそれぞれが76丁、74丁76丁。綺麗な楷書の自筆です。


「天」の巻は明治11年3月、恵林寺の拝請を受けるところから明治28年末まで。
「地」の巻は明治29年1月から大正4年4月4日、妙心寺管長となって恵林寺を下山するところまで。それぞれ、出来事、感懐、偈頌などが年代順に記述されています。
「人」の巻は、前半が明治27年日清戦争の勃発にあたって提出した「葬祭布教師派遣御願」と明治27年12月26日から28年2月25日までの従軍記、従軍中の感懐、偈韻。
後半が大正4年4月恵林寺退山妙心寺晋山の偈、妙心寺管長としての偈韻、其の他の偈韻となっています。

この『無孔笛』は、近代の傑僧笛川元魯老大師の境涯をうかがい知るための法財であるのみならず、廃仏毀釈以後の恵林寺再建、明治38年2月の火災と再建の経緯を語る第一次資料として、恵林寺の近代史にとって重要なものであり、かつまた、明治期の仏教界、禅門の様子を知るためにも、貴重な第一級の史料です。有り難いことに、恵林寺には、笛川老師自身の手によって浄書された本文だけではなく、その原本となる、折々に老師が書き残した日単、手控えも相当な分量で遺されています。恵林寺では近い将来、この『無孔笛』を何らかの形で出版公開できるように検討中です。

この度、『武田信玄公生誕五〇〇年・四五〇回忌』を迎えるにあたり、この『無孔笛』の内容を少しずつご紹介していきたいと思います。『無孔笛』本文は、漢字・カナ文字の読み下し文のスタイルで書かれ、一部は漢文。偈頌などは漢文ですが、ここでは、あくまでも内容のご紹介が第一の目的ですので、私の判断で原文を読み下し文に統一し、その後に現代語訳を付しました。