2021年10月30日
武田信玄公生誕五〇〇年記念御朱印を、11月3日信玄公誕生の記念日から、お詣りの皆さまにお渡し致しました...(配布終了)
皆さまご存じの通り、本年、令和三年は、武田信玄公生誕五〇〇年の記念の年にあたります。
戦国の雄、武田信玄公は、大永元年(一五二一年)十一月三日、甲斐国守護 武田信虎公の嫡男として生まれました。
仏教、特に禅に深く帰依した信玄公は、若い頃から惟高妙安、策彦周良、岐秀玄伯といった禅の高僧たちに教えを受け、永禄二年(一五五九年)には、岐秀玄伯を師として出家し、武田晴信 改め 徳栄軒信玄と号しました。
後に、美濃崇福寺から快川紹喜を招くとともに恵林寺を菩提寺に定め、快川を師として手篤く遇しましたが、この二人の交わりは、師弟という関係を超えて、互いに深く共感し、尊敬し合うものでした。
信玄公は元亀四年(一五七三年)四月十二日に、五十三年を一期としてこの世を去りますが、師である快川は、三年間の秘喪の後に恵林寺で執り行われた葬儀にあたり、自身よりも二十歳近い若さで世を去った信玄公を追悼して、熱烈にして切々たる偈頌を捧げ、その偉大さを讃え、早すぎる死を悼んでいます。
快川紹喜は正親町天皇から「大通智勝国師」という国師号を賜る、時代を代表する傑僧でした。
その快川国師から、これほどまでの尊敬を得るということは、信玄公がいかに優れた資質を持って生まれ、そしてその天賦の才を生かすためにどれほどの修養を重ねたかということをあらわしています。
勇猛果敢で軍略に優れ、しかも慎重。人情の機微に通じて人望篤く、しかも事に当たっては果断。和漢の詩文に通じ、禅の奥義を究める...
信玄公は戦国のみならず日本の歴史に燦然と輝く偉才です。
さて、武田信玄公生誕五〇〇年にあたり、十一月三日の「生誕記念日」を期して、お詣りの皆さんにご準備する「武田信玄公誕生記念」の御朱印は二種類となります。
一つは、軍配を高く掲げて武田の騎馬軍団に采配を揮う、甲冑姿の信玄公の切り絵に「孫子の兵法」の「風林火山」をあしらった朱色の御朱印。こちらには、信玄公が自身をなぞらえたとされる不動明王のご真言を記しました。
もう一つは、信玄公の姿を対面で写したとされる恵林寺の寺宝「武田不動尊」の切り絵に、武田不動尊の名号と三宝印を配した紺地の御朱印。
各二百枚ずつの、限定のお渡しとなります。
信玄公墓所にお詣りいただきましたら、受け付けにお声掛けください。
恵林寺 山主 謹白
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