夢窓国師

Musokokushi

恵林寺開山、夢窓疎石(1275年:建治元年~1351年:観応2年/正平6年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代、室町時代にかけて、日本の禅宗史、仏教史はもとより日本の文化史全体に大きな足跡を残した中世禅界の巨人です。

 

国師は「煙霞の癖(えんかのへき)」と自ら認めるように、生涯にわたって、華やかな歴史の表舞台を逃れ、一人孤独に山野に隠遁する生き方を切望しながらも、その徳望の高さ故にそれを許されず、後醍醐天皇と足利尊氏、そして足利尊氏や弟の足利直義のように、激しく対立する陣営の双方から篤い帰依を受け、血なまぐさい権力闘争の荒波に翻弄されながらも、最後まで仏教的な慈悲と和合の道を説き続けました。

 

国師は、弟子に連なる者一万人と言われ、1351年に76歳でこの世を去るまでの間に、七人の天皇・上皇から、夢窓・正覚・心宗・普済・玄猷・仏統・大円と国師号を賜り、七朝の帝師と称えられています。国師はまた、自らを「石立僧(いしだてそう)」として徒弟や職人たちと共に石を配し、流水をひき、樹木を植えて庭園を築き、今日の禅宗庭園の基礎を作りました。

 

国師の残した漢詩は、このように詠われています。

 

仁人自是愛山静  智者天然楽水清

莫怪愚惷翫山水  只図藉此砺精明

 

仁人(じんじん)は みずからこれ 山の静(せい)なるを愛す

智者は 天然に 水の清きを楽しむ

怪しむなかれ 愚惷(ぐとう:愚か者)の 山水を翫(もてあそ)ぶを

ただ これを藉(かり)て 精明(せいめい:心)を砺(と)がんことを 図(はか)るのみ

 

心を静める山の静寂、心を清らかにする清流の流れ・・・

深山幽谷の好風光を禅寺の庭に再現するのは、ひたすら自分の心を見つめ、磨き、浄化して、凄絶孤高の高みに導くためなのだと。まっすぐに、一途に修行の道を歩み通した国師の生き様を感じることができる素晴らしい名句です。恵林寺に足を運び、国師の作庭になる庭園に赴きましたら、ぜひとも、足を停めて国師の求めた清らかな修行の世界を感じてみて下さい。